奥州相馬氏第18代大善亮義胤公(治世年:間寬永2年(1625年)~慶安4年(1651年)、享年32歳、巴陵院殿月海霜剣大居士)が逝去し、霊骨を中村に下し、宇多川辺において葬礼を行った。

義胤公の追薦冥福のために忠臣の志願により開基創建し、寺院となり、月海山巴陵院と号した。

承応2年(1653年)3月より伽藍造営し、小高同慶寺16世白岑禅牛大和尚を開山とした。

元禄6年(1693年)11月相馬氏第21代昌胤公は、巴陵院を改めて蒼龍寺と号した。改名の理由としては義胤公を指す「巴陵」の号を寺院名とし、様々な人がこれを寺院として唱えることを不可としたことからである。改号の入札を一宗に命じ、各入札を行い、東泉院住持が「蒼龍寺」と入札し即これを命じた。

延享2年(1745年)相馬藩内寺院65箇寺を60箇寺に統廃合。

文政8年(1825年)4月、同慶梵閣焼亡により、同慶寺を蒼龍寺に移し、伽藍境内ことごとく同慶寺となり、蒼龍寺を妙德院にうつして合院となす。これ以来妙德院をもって蒼龍寺と称した。衆檀の墓域は旧の如く蒼龍寺であったが、一部墓域は同慶寺のものとなる。東泉院を同慶寺に併せ、東泉院伽藍を毀し、その仏像位牌を同慶寺に移し、境内もまた同慶寺に属す。

嘉永5年(1852年)長松寺に洞雲寺が移り、小高の洞雲寺跡に同慶寺が移る。

元治元年(1864年)6月17日夜失火し楼門のみ焼けず、本尊仏と大般若経の一部のみ火災を脱した。その他十六羅漢、諸仏像、仏具檀家の木主(位牌)等ことごとく失火した。

慶應元年(1865年)9月小泉(むら)宇佐美氏の古家を移して寺厨(庫裏)を建てた。

慶應2年(1866年)から客殿をつくり、同年11月24日普請成就

明治3年(1870年)に大量の寺院整理を実施。45箇寺を廃寺とし、僅か15箇寺に整理された。

昭和14年(1939年)中村町内の火災で類焼

昭和16年(1941年)庫裡再興

昭和24年(1949年)本堂再興

年月日不詳 磯部村金龍寺、柏崎常林寺が蒼龍寺に合併する(蒼龍寺過去帳より)。

平成元年(1989年)8月6日 台風により宇多川氾濫。本堂、客殿、庫裡床上浸水

平成2年(1990年)6月17日護持会総会において、宇多川河川改修のため、境内の移転を決議。

平成9年(1997年)6月30日新本堂、客殿、庫裡建築工事開始。

平成11年(1999年)6月1日本堂引渡しが完了し、相馬市中野から同市馬場野へ移転完了

 ※以上は下記参考文献を基に記載。相馬市史など研究されている方で、上記記載の誤りや疑義などございましたらご教示いただければと思います。よろしくお願いいたします。

参考文献

「昭和44年3月31日発行、相馬市史4 資料編1(奥相志)、発行福島県相馬市、69頁、93頁、111頁~129頁」

「昭和58年9月1日発行、相馬市史1 通史編、発行福島県相馬市、305頁相馬氏歴代表、1022頁相馬関係年表」

「平成12年10月14日厳修 本堂落慶 晋山結成 先住忌 首座法戦式 法要のしおり、曹洞宗月海山蒼龍寺発行」 

「平成29年12月31日発行、相馬市史第9巻 特別編Ⅱ民俗、発行福島県相馬市129頁」

「昭和51年11月10日初版第一刷発行、ふくしま文庫29 福島の寺院、著者吉岡棟一」

「平成22年9月1日広報相馬 6頁7頁相馬の歴史講座相馬中村の城下町を探る第5回鍛冶町枡形と迎町の町並み」

「昭和15年6月25日発行 相馬藩政史上巻、今野美壽著598頁~606頁」

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